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夜のおつまみ

夜な夜な酒のつまみになる何かを探してさまよった記録です。

学校は人生ゲームのルールを教えている、ただし間違われやすい形で

生き方

こういう記事を読みました。

anond.hatelabo.jp

 

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実は、割と気づかない人も多いのですが、学校は、人生ゲームのルールをきちんと教えてくれています。ところが、受け手が間違って理解するケースが多いのです。あるいは、間違われやすい形で教えてしまっているということかもしれません。

 

その最大のものの一つが、「頑張りは成功の必要条件である、ただし成果を上げるかどうかを決める十分条件は、運である」ということです。学校はこれをまざまざと教えてくれます。ホントですよ。

 

しばしば誤解されるのは、日本の教育のせいで、日本人は頑張りさえすればそれでいいと思っている、という誤った考えです。まあ、教育の担い手である教師*1も、頑張りさえすればとか平気で言うので間違われても仕方がないのですが、システムはそうではないように設計されています。

 

たとえば、大学受験。勉強しないと、学力は上がらないのですが、最後、大学に合格できるかどうかは、勉強して上がった学力を前提に、運によります。当日風邪をひくかもしれないし、出題傾向がガラリと変わるかもしれないし。いやいや勉強すれば絶対合格ラインに到達できると反論があるかもしれませんが、それは単にさらに難度の高い大学を受験しないという、自ら負けの道を歩んだ人の主張であることが大半です。で、仮にそのような主張をする人が、東京大学京都大学の絶対合格ラインに到達しているとすれば、それは、そのような頭脳を持って生まれたという運によるものなので、やはり大学に合格できるかどうかは、最後は運なのです。が、勉強しなければ、いずれにせよ受からないので、努力は必要条件だけど、十分条件ではないということで、大学受験というプロセスは、人生ゲームの最重要のルールを教えてくれるのは間違いありません。

 

大学受験に限らず、甲子園をはじめとするスポーツ大会だってそうですね。県大会の決勝で、風向き一つで絶対的エースが打ち込まれて敗退なんてのは、毎夏の風物詩です。

 

システムとしては、運が成功の十分条件なのですが、それを待つばかりでは、努力が必要条件なだけに、誰も成果を上げない人生になってしまいます。そこで学校では、努力すればあたかも必ず成功するがごとき詭弁を弄して、生徒に努力を教え込みます。そうでもしないと、努力はつらいことなので、特定の、努力が苦にならない先天的で特殊な能力を持っている人以外は努力をしようとしなくなるからです。

 

それほどに、人に努力を教え込むのは難しいのですが、学校教育は果敢にこれに取り組み、とりあえず、多くの人は人並みの努力をする程度には頑張ることを覚えます。これが人生ゲームのルールでなくて何なのでしょうか。そして、学校もそうですし、成果を上げてなんぼのはずの会社であっても、若いうちは、努力できる人間であるかどうかを確かめ、そして努力できる人間であるとわかれば、まずはその段階ではそのことをほめたたえます。大企業が、有名な学校を卒業する学生を優先的に採用するのは、努力ができる人間である確率が高いからです。

 

頑張ることが成功には不可欠。これは、人生ゲームのルールの最初に書いてもよい、素晴らしい教えなのですが、一方で副作用が伴うのは上に書いたとおりです。努力の効能を謳いあげるばかりに、最終成果は運による、ということを忘れがちということです。

 

そして、大半の受け手は、もともと努力が嫌いで頭が悪いから、教育システムは冷酷にそのことを告げているにもかかわらず、無視します。成果を上げられるかどうか、成功できるかどうかは、最終的には、努力を前提とした運によります。

 

それを学べないのは、私は、受け手の真の無能さなのだと思います。

 

 

「学力」の経済学

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*1:公立学校の教師が特にひどいように思う。まあ日教組とかの思想的要因によるものなのかもしれないのですが。