夜のおつまみ

夜な夜な酒のつまみになる何かを探してさまよった記録です。

地べたを自分ごととして語ることのいやらしさ

BREXIT盛り上がってますね!

金曜日だけで月給の数カ月分を損した哀れな個人投資家が、それでもガッツを出して思ったことを書いてみるよ!

 

 

というわけで、今日書くのは、BREXITが世界経済に与える影響とかではなく、

bylines.news.yahoo.co.jp

 

こちらの記事の秀逸なタイトルに触発された個人的な情念です。なお、今日の記載は、上記記事の作者を批判するものでは一切ありませんので念のため。

 

 

さて、この記事、「地べたから見た」ってタイトルが秀逸だと思いました。

地べた。高いところを飛んでいるのではなく、地面を這いずり回って、現実に足をつけて現実を見据えて、生活に根差した生きざま、を象徴するような表現です。地べた。

 

 

ところが、私、地べたという表現を自分自身、あるいは自分自身が属する集団に使う人について、本当の地べたってそんなもんなの?といつも聞きたくてたまらないのです。

 

 

今回のイギリスの国民投票についてもそうです。イギリスのワーキングクラスは、自分たちを地べたと思っているのかもしれないけれど、イギリスのその階層、世界的に見れば恵まれもいいところですよ? 別の国の別の社会的集団が、イギリスのワーキングクラスの生活を見たら、王侯貴族の生活か!って思うレベル感ですよ?なにが地べただ。本当の地べたはそんなもんじゃないよ!って私などは思ってしまうのです。

 

 

経営者とかでもいます。大会社の取締役とかやってる人が、「自分は営業一筋で地べたを這いずり回って…」とかのたまう人が。あのさ、大企業に所属してる時点で地べたじゃねーって。ましてそれが銀行とか証券の人だったりすると、本当に胸をかきむしりたくなるような憤りを感じます。お前ら、顧客企業の生殺与奪の権を握っておいて、顧客の財産とか金の出入りとかの死命を制する情報を全部覗ける立場で、何が地べたなの?と。そういう、どう考えても地べたにいない人でも、自分のことを地べただと言いたがる人がいるんですよね、世の中には。

 

 

で、なぜこの「地べた」が嫌な感じがするのかを考えてみました。

 

答えは割と簡単で、「地べた」を自分事として語るときには、必ず「地べたではないもの」との対比で用いられるからです。

 

BREXITもそう。地方のワーキングクラスの対比には、ロンドンで不動産リッチな富裕層、あるいはインターナショナルに活躍しているコスモポリタンな人々が存在します。

地べたが大好きな経営者はもっといやらしくて、企画とかの間接エリート部署の人が非「地べた」で、単にこういう間接部署の人を蹴倒したという自慢だったりします。あるいは、もっと酷いのは「地べたを這いずり回った結果、この高いポジションに登りつめた俺様」が非「地べた」。すなわち、「地べた」から脱出した現在の自分をより引き立たせるために語る「地べた」。

 

 

逆に言うと、「地べたではないもの」なくして「地べた」言論は成立しません。

 

 

要は、「地べた」言論は「あいつらvsオレら」というものの言い換えに過ぎない。

 

 

冒頭のエントリと、そのタイトルが優れているのは、そのことをえぐり出しているからだと思います。BREXITについても、「あいつらvsオレら」という認識が肝だという、そういうことです。

 

 

ただそれにしても迷惑なのは、「地べた」言論の行き着くところは、「あいつら」も「オレら」と同じ地平の地べたに落ちてしまえ、という議論に収束するところなんですよね。BREXITのおかげで、日本で地べたを這いずっている私のような人のところにまで数百万の損失が及び、地べたにおっこちてしまいそうです。

 

 

経営者の「地べた」論はもっといやらしくて、オレらみたいなブラック労働をお前らもしろ、という論議に単になってしまう場合があるってことです。そんなことを言っている経営者は、もともとエリートで、単に数年「地べたを這いずった」だけのケース*1がしばしばあって、どの口が「地べたを這いずるオレら」を僭称するのか、と思ったりするのですが。

 

 

 

いずれにしても「地べた」論が出てきたら、たいがいろくでもない帰結が待っている、と思った方が良いのかもしれません。

 

 

 

 

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*1:よくあるパターンは、創業期の数年だけの「地べた」か、あるいはエリートのキャリアパスの一環としての2~3年の支店長経験