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夜のおつまみ

夜な夜な酒のつまみになる何かを探してさまよった記録です。

カジノのお話:動機を利権で説明しようというのは無理筋

カジノについて書くのは3回目。

1回目はこちら → カジノを作りたい論理

2回目はこちら → カジノを作るのに、ギャンブル依存症対策はいらない

 

今日のテーマはこちら。

lite-ra.com

 

カジノ法案採決で、山本太郎が議場に向かい、セガサミーダイナムのためか、と叫んだということをリテラが書いています。

 

まるで本質を語れるのは山本太郎だけで、ほかの議員は口にできないという雰囲気を醸し出している記事ですが、残念ながら山本議員の絶叫は本質でも何でもありません。

 

 

本質的な問いは、「主に中国人観光客をターゲットにした観光施設を開発する必要が、今の日本にはあるかどうか」ということです。

 

 

日本人の中には、自分たちの国には、他の国にないユニークな観光資源があるから、それだけで外国人観光客を誘致できるのだと信じて疑わない人がいます。ユニークな観光資源があることは事実だと思いますが、観光客を誘致することには残念ながら成功していません。日本にくる観光客は、ヨーロッパの主要国の数分の一です。欧米からは地理的に遠隔であることというハンデがある一方、経済伸び盛りの中国人にとって魅力あるコンテンツはできていません。

 

また、サービス提供側のマインドにも問題があります。こちらの本で論じられているような内容ですね。私はこの本の指摘はだいたいあってると思います。

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

 

 

観光産業で外国人を誘致する必要などないのだ、ものづくりで輸出産業で外貨を稼ぐのだ、と昭和みたいな主張をする人もいます。ところが、ここ10年ほどの、民主党の円高政策からアベノミクスの円安政策までずっと経験した日本経済は、あまりの円高では輸出産業が死滅するが、円安だからといって企業が元気になり経済が元気になるかというと、必ずしもそうでもないということがわかってきています。日本は、輸入品がないと今の水準の生活を維持できない体質になってしまっています。一定程度の円高でも、外貨を獲得できる産業を育成しなければなりません。

 

そこでカジノです。カジノは、中国人観光客が大好きなエンターテインメントの一つです。目ざとく、かつ、自らも中国系住民が多数を占め近隣諸国にカジノで長年儲けさせてきたシンガポールは、当時の国家指導者の強烈な賭博嫌いにもかかわらず、10年も前からカジノを経営し、主要な観光資源としています。 

リー・クアンユー回顧録〈上〉―ザ・シンガポールストーリー

リー・クアンユー回顧録〈上〉―ザ・シンガポールストーリー

 

 

また、フィリピンも、領海をめぐり強く対立してきた中国ではありますが、それはそれとして主に中国人を歓待するため(カモにするため)の施設としてすでにカジノを建設する計画を立て、実行に移しています。

 

いうまでもなく、マカオは、中国人富裕層の落とすお金で浮いている島です。

 

日本がこれからどうやって生きていくか真剣に考えたとき、近隣の成長する国々の活力を、観光という面でも吸収し、我々の生きるすべとしていく必要があるのではないか、という中で、カジノというのは必須のコンテンツではないか、ということです。

 

パチンコはありますが、あれは観光客向けではありません。イギリスなどにも町場のブックメーカーとかありますが、観光客はまずああいったところには足を延ばさないものです。まして、カジノの太客である富裕層が、なんであんな煙草の煙がもうもうとする場末のギャンブルなんてするわけないでしょう。パチンコはしょせん貧乏人向けの小銭のバクチです。

 

カジノは、別にカジノの参加者が「負ける」お金で儲けるだけではありません。そこに滞在するお客が泊まる高級ホテルの宿泊料、美味しいレストラン、眺望の優れた雰囲気の良いバーで飲む驚愕すべき価格のお酒、こういったもので稼ぐのです。それは京都や沖縄、北海道などにある、伝統的な観光資源をコアとしたリゾートホテルの稼ぎ方と同じ。都市部には自然の魅力が欠けますから、そこにカジノという新しい観光資源をつけたしてあげるわけです。

 

こういう大きなテーマと必要性があって、そこに動くお金は当然に大きいので、参加する人にはおこぼれの利権が発生する、とそういうわけです。遊技機を作っている会社も、何も努力なく作っているわけではなく、いろいろな工夫と技術開発あってその利権に関与できるわけで、そこには政策的な必然性があるわけです。

なにより、別に遊技機を作っている会社のためにカジノを作ろうとしているわけではないところを「セガサミーダイナム」と指弾するのは、話が逆です。政治家ならば、カジノを作る必要性自体を否定すればよいのに、利権のような、いわば身の下みたいな話を強調するのは、単に品性がないか政策論争能力がないだけだと思います。

 

ちなみに、民進党旧民主党)も、同じように、利権があるから政策がゆがめられているとか、利権があるから特定の政策が採用されようとしていると主張する傾向があります。以前、主に年金問題で、厚労省天下りや年金機構の問題を指摘して、成功体験があるからだと思われます。実際には年金の問題や年金機構の問題は、天下りとはほぼ関係ない、高齢者優遇・不払い者救済を優先してしまった中での構造的な問題だったにもかかわらず、当時の国民は、天下りや年金機構の既得権という、下半身的な批判を真に受けて、民主党の荒唐無稽な年金政策を支持してしまい、政権交代の一因となりました。

 

結局は、天下りやら利権やらということを真に受ける国民の問題ではあるのですが、さすがにそれで政権を取った人の体たらくを見て、昔ほどそういう批判を本当だと思ってしまう人は少なくなっているのではないかと思われます。にもかかわらず、いまだに利権といった本質的ではない問題があたかもトッププライオリティであるかのように語る山本太郎やリテラは批判されるべき*1ではないかと思われますがどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

*1:そういえば、アベノミクスのうちの金融緩和を支持する特定のグループが、日銀官僚批判や財務省黒幕論をいつまでも語り続けているのも、結局は旧民主党と同じセンスにしか見えないです。