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夜のおつまみ

夜な夜な酒のつまみになる何かを探してさまよった記録です。

電通という会社、あるいは日本社会のある種のエリートが抱える闇

働き方 ビジネス 生き方

昨日と今日、一部で話題になったツイートに、電通という会社の闇が象徴的に表れているような気がしたので、少し雑感を書いてみます。

 

 

 

そしてそのことについて追記されたブログ。

lineblog.me

 

 

以前にも少し書いたのですが、本来的に、電通という会社は、それまでエリートな経歴の人が無防備に入るような会社ではありません。それはなぜかというと、電通に入るということは、「偏差値40の人にも理解できるもの」を作り続けるということであり、それは結局何を意味するかというと、特に、広告というものが理性ではなく感性や感情に訴えるものであるだけに、一生、偏差値40の人の意を迎え続けるということを意味するからです。

 

 

通常のBtoBの会社では、ビジネスで付き合う相手は、会社の人です。電通に入るような人が就職するBtoBの会社は、相手も相応の会社であり、いわば、偏差値60以上の世界だけのつきあいでほぼ完結します。要は、ここでいう偏差値40のバカを相手にする必要がない。あるいは、より婉曲な表現をするならば、社会的階層や社会的常識の異なる人たちと仕事をする機会がない、ということです。以前は、メーカー系であれば工場労働者とかとの付き合いが必然的に発生したのですが、現在は分社化がすすみ、いわゆる組み立て系の製造会社は、別会社に分社しており、残った本社機能は、ホワイトカラーとの付き合いだけで完結してしまいます。

 

 

ところが、BtoCの会社はそうではありません。一般顧客を相手にすることになります。大きいビジネスであればあるほど、そして国内に基盤があればあるほど、一般顧客の意をいかに迎えるかが大事になります。それでもメガバンクなどであれば、メガバンクと付き合えるような顧客に限定して仕事をするので、さほどではないのですが、テレビとか広告とかは、本当に、全国民を相手にした仕事になるので、「偏差値40」の気持ちに寄り添って仕事をしないと、逆に商売としてはうまくいきません。

 

 

それは、特に偏差値70クラスの秀才たちにとっては、屈辱的なことです。なぜ、自分たちが18歳まで踏みつけにしてきた馬鹿どもにひざまずいて、彼らが喜ぶようなものを作らなければならないのか。くだらないものを、もっとくだらなくするために真剣に悩み、上司に詰められ、それで偏差値40の連中に受け入れてもらえなかったら、これまで保持してきた偏差値70としてのプライド、便益、そして社会的地位が脅かされてしまう。でも、電通という会社は、それを生業にしている以上、偏差値40の人たちが立っている位置が、お客様の位置であり、それが「普通」だと理解しなくてはなりません。

 

 

そして、その反動が上記のツイートに記載されている「バカ」という言葉です。上記のツイートが言わんとする中身は、もっと穏当な表現ができるはずのものです。ではなぜわざわざ露悪的に「バカ」と言わなければならないのか。

 

 

それは、偏差値40の人をバカと呼称することで、自分は偏差値70の住人なのだと確認したいからです。仕事では偏差値40の人にひざまずいているけれど、自分は本当は偏差値70の世界の住人なのだ。なぜって、偏差値40の人はバカで、彼らの普通と我々の普通は違うのだから。と言いたいわけです。ある種の防衛機制ですね。

 

 

私は、同じような防衛機制を働かせて、一生懸命仕事の現実とプライドを両立させている人間集団を知っています。それは「官僚」。彼らも、超優秀を自認する頭脳から紡ぎ出された自分たちの素晴らしい政策を実現させるためには、偏差値40の人にひざまずかなければなりません。なぜって、国会議員は、選挙でえらばれているわけで、それはまさに偏差値40の人たちに選ばれるプロセスだからです。それは、以下の記事を見れば如実にわかります。小泉進次郎のような選挙最強のブランドの持ち主でも、「バカになる仕組み」を続けなければならない、それが政治の世界です。

blogos.com

だから、官僚の人たちも、自分の仕事に過剰なまでのプライドを持ち、そして「民間」をバカにしたりするわけです。そうしなければ、彼らの自己認識は守られない。

 

 

どこの国でも、一般大衆と、エリートの間には、深くて暗いギャップがあります。多くの国では、そのギャップにあえて橋を架ける必要がない場合が多いです*1。ところが、日本は、一億総中流という名のもとに、その深くて暗いギャップがないことにしてしまった。エリートなんて存在しなくて、むしろエリートは、一般大衆から見たらなんとなく冷笑されるべき存在になってしまった。でも、エリートは社会や経済や企業を支える仕事をしなければいけないので、BtoBの世界に閉じこもって、エリート同士で仕事をできるように社会を作り替えていった。

 

そうした中で、エリートの側にいて、一般大衆の間のギャップを埋める役割の人たちには、特別な苦労が発生します。電通やテレビ局において、品のない宴会芸や、適切とは言えない男女関係がまかり通っているのは、私は、一般大衆との間のギャップを埋めるための、ある種の通過儀礼なのではないかと思っています。生命保険会社の男子総合職が、いわゆる生保のおばちゃんの前でめちゃくちゃお酌したり品のない芸をしたりするのも同じ。証券会社の総合職にまつわるいくつもの伝説もその種でしょう。

 

そしてそのことを、一部の人は露悪的に自らの立場を語ることで埋め合わせます。どうしてもそのことに耐えられない人たちは、何らかの形で、その仕事から離れます。

 

例の電通のブラック労働事件、あるいは、官庁や一部インフラ系、リテール金融系の過酷な労働は、このような文脈で理解すると、また少し違った見方が出てくるような気がします。

 

(参照)

potato-gnocchi.hatenablog.com

 

言ってはいけない格差の真実【文春e-Books】

言ってはいけない格差の真実【文春e-Books】

 

 

 

21世紀日本の格差

21世紀日本の格差

 

 

 

 

 

 

*1:トランプ氏の当選や、BREXITをめぐる一連の経緯は、ギャップが離れすぎたところから発生していると考えます。